Twitterでは文字数が足らない、一度文章でまとめたい、そう思ったのでここに記したい。
 
 この記事は、5話視聴時点でソシャゲはやっていない筆者によるものだと最初に断っておく。

 では、続きからどうぞ 


 
 第一印象と疑問

まず筆者は、けものフレンズ考察記事から本編を見たいわゆる入植者だ。
実は1話のAパートで一度切ってしまった作品なのだ。
 その時の印象は「てさぐれ部活物」であった。
簡素なCG、ぐるみんの主人公のような棒読み、そこで私は挫け、 その後、考察記事を読みここまで見た、そこで思う「内容の考察に意味はあるのか」

 考察記事をいろいろ見て思ったのが内容を考察している記事は少なく、なぜけものフレンズの輪が広がったのかという所に注目されている記事が多く感じた。それは皆がけものフレンズスターウォーズハリーポッターのような深い設定がありそこから作られた作品で無いと薄々気づいているのかもしれない。


 考察される作品

 元来、スターウォーズハリーポッターといった作品は設定が作りこまれており、そこから紡がれるストーリーには深みがあり、また議論が活発に行われることもあり人気があった。
そういった作品は深い設定を知らずとも今必要な情報はいつの間にか提示され私達を戸惑わせないように作られてきた。
例えば、主人公がその世界にいきなり飛び込んできて私達と近い視点で物語が進む事により、私達が疑問に思うことは主人公が作中で質問などをすることにより理解するといった手法はよくあるものだ。
 だが、そういった経緯もなく物語が進む作品も少なくない、例えばFF15である 。
FF15は序盤仲間が「夜は危ないから出歩くな」と話かけてくるが、何が危ないかということは一切説明されず、「夜は魔物が出るから危ない」という、その世界の常識がこっちが知っている前提で進むのである。
 こういった作品は設定資料集や小説版を読み、やっとその作品が持っている深さに触れてその魅力に気づくのである。
 ここで全く逆のエヴァンゲリオンがある。
 作者である庵野監督の言葉を引用してみよう
庵野氏の発言(2004年5月のNHK「トップランナー」より) 
エヴァの一見謎に満ちたストーリーも、何か裏がありそうな雰囲気を出すための演出であり、実際に裏は存在しない。 
また一見哲学的に思える内容も、パッと見た感じをかっこよく見せるための演出であり、実際はただ賢そうに見せているだけ(衒学的)で哲学的なわけではない。 
こういう様な、作品に考察の余地がありファンが勝手に深く考えているだけの作品がある。けものフレンズもその一つなのかもしれない


 けものフレンズはどうなのか

ここでアニメ公式HPのイントロダクションを覗いてみよう。
19
http://kemono-friends.jp/introduction/

大冒険になっちゃったのである。そう、ただそれだけなのである。
かばんちゃんがどうとか、サンドスターとはなんだとかはどうでもいいのだ。
ただ結果がある。アニマル化とはなんだ→動物が女の子になったのだ。深く考える必要はない分かりやすい結果が提示されているのだ。
 また、けものフレンズにはファルシのルシが(ryのような専門用語もほぼ存在しない
こういった理由から監督は「アニマルガールが動いてるアニメが作りたい」といった思いのみでこの作品が1話1話その時の思いつきで生み出されているのでは無いかと筆者は思う。



 だがしかし

そこで引っかかるのが、ソシャゲの終了とEDである。
まず、ソシャゲはまるでアニメ開始時に終了するのが決まっていたようなゲームだったそうだ。課金要素が少なくいつ終了しても問題ないような作りだったとか。。。
またEDも荒廃したテーマパークといった映像が流れる。
このような要素から私はけものフレンズが終盤どんな展開になるのか注目していきたいと思う次第である。

 P.S.

昔、とある掲示板で数多のクソゲーをプレイした者達はゲームとは何かについて考えるに至ったという。そこから、けものフレンズはアニメの考察とは何かという題材を筆者に与えてくれたような気がする。

この作品はIQを溶かすという噂があり、この記事を書く前に筆者は5話を見ており、そのあとに記事を書こうと思っていたが5話を見たあとには今までの考えが散乱し「もう投稿しなくていいかな」とも思ってしまったので、IQを溶かすという噂は真であった。